7.現実は甘くないと思い知らされる毎日

大学編

荒みきった心を開くのは容易ではない

茉奈との生活が始まった。

新聞販売店の所長には、事前に事情を話し、相談していた。

寮に一緒に住むことを了承してもらうことができ、ホッとした。

のみならず、「何か仕事をさせたほうが、立ち直りが早いだろう。」と、昼間、新聞に挟む折込広告を組む手伝いのアルバイトを、させてもらうことになった。

ありがたかった。

「若いのに妹の面倒を見ようなんて、偉いな。そういう気持ち、大切にしたい。」

雨の日にバイクで転んで怪我をした私に、配達は責任持ってやれといって追い立てられた時は、

「この人鬼か!」

なんて思ってしまいましたが、厳しさの中にも優しさのある人だった。

当時60代くらいだったか。

戦後を生き抜いて来られた方々は、そういう方が多いように思う。

秋に私のところにやって来て、一緒に住むようになった茉奈だったが、その荒んだ心を開くのは、難しいことだった。

年配のパートさん達に囲まれながらバイトをしていた茉奈は、基本、口をきかない。

仕事のミスを指摘すると、へそを曲げて勝手に帰る。

時に、「うるせえクソババア」と言って喚く。

そんな状況なものだから、所長から、

「茉奈さん、もうちょっとどうにかならないか?兄のお前から話しておいてくれないか?」

なんて言われるように。

頭の硬い私は、

「せっかく所長や皆さんがお前のことを心配して色々手を差し伸べているのに、どうしてお前はちゃんとできないんだ!」

なんて、心無い言葉をぶつけたりして。

暫く休ませるべきだったと反省

今思い返すと、私は妹の気持ちを、全然理解しようとしていなかった。

全部、自分本位。

自分が所長から色々と言われるのが嫌で、ガミガミと妹を責めるばかりで。

一緒に住むようになって数日経ったある日、茉奈はどんな目に遭ったのかを、少し話しました。

3日3晩、殴られ続けたこと。

マンションの12階から、3人がかりで足を持ってブラブラされて、手を離されたら落ちて死ぬという恐怖を与えられたこと。

車のトランクに手足を縛られた状態で詰め込まれ、何時間も振り回され、何度も嘔吐して、その後吐瀉物を洗って綺麗にしろと言われたこと。

風呂場で水攻めとか、古典的なやつもバッチリやられたそう。

その他、聞くに耐えない話がいくつか・・・

女番長の拷問って、怖いね。

(平成の話とは思えない)

正直、生きられるとは思っていなかったそうです。

2日目から、痛いし苦しいから、早く殺してほしいという気持ちだったそうです。

4日目に、共犯の男2人が、

「このままだと殺してしまう。さすがにそれはヤバい。」

と、自ら警察に出向き、そのおかげで警察に保護されたそうです。

この男2人、女番長に命令され、ナンパして連れて来いと言われ、連れていった。

まさか、こんな酷い拷問をするとは思わなかった。

でも、こいつら、女番長に弱みを握られていたらしい。

厳密には、女番長の彼氏が、『アッチの人』で、そのアッチの人に弱みを握られていて、逆らえなかったとのこと。

そいつらも共犯だが、でも、そいつらが勇気をだして警察に行っていなかったら、本当に殺されていたかもしれない。

そんな状況で、母親からも、親戚からも、兄からも不良娘呼ばわりされ・・・

そんな深い深い心の傷を負った状態で、その傷が癒えていない状態で、働かせてはいけなかった。

兄貴が未熟で、すまんかったなと思う。

茉奈と一緒に暮らすようになって2カ月。

茉奈から言われた、忘れられない言葉があります。

『私は好きで東京に来たわけじゃない!もう私のことはほっといて!』

そう言い放って、私の部屋を出ていった茉奈は、それから3日、帰って来なかった。

その日以来、3日、4日と、家を空けることが多くなり、結局、新聞販売店の手伝いのアルバイトは辞めることとなった。

知人もいない。

身寄りもいない。

こんな地で、茉奈はいったい何処へ出掛けているのか。

夜間徘徊癖がなかなか治らないのは、自分も経験済み。

結構、生きられるものです。

夜の闇が、孤独を飲み込んでくれるような錯覚があって、慣れると心地よくなる。

でも、当時15才の女の子が、夜間ウロウロしてるとか、絶対に危険だった。

心配なのに、何もできない自分。

そんな弱い自分が、情けなく、嫌いだった。