2.毎日が崖っぷちの生活

ホームレス高校生編

親父が失踪してからの生活

 親父が蒸発し、母親は女手一つで私と、4才下の妹、12才下の妹を育てることになりました。 詳しいことは分かりませんが、親父との離婚手続きをして、児童扶養手当を受け取りながら、母親は毎日懸命に働いていたとおもいます。

 私は高校生になり、家計を助けるため、アルバイトをするようになりました。 親父がいなくなったことで、何か困ったかというと、むしろ逆で、ギャンブルの借金=家計のマイナスだったものがなくなったこと、納豆を一人で3パック食う奴がいなくなり、食い扶持がへったこと、児童扶養手当が家計の足しになったこと、私のアルバイトで、多少まともに暮らせるようになりました。

 ですが、決して穏やかな生活ではありませんでした。 ベタな話ですが、母親が勤務先で知り合った男と付き合うように。 その男は、決して悪い人ではありませんでした。 最初は「誰が心を許すものか」と、話しかけられても返事すらせず、突っ張っていた私でしたが、その男は私たちをよく食事に連れていってくれ、飢えていた育ち盛りの私は完全に胃袋を掴まれ、懐きました。(私はそんな安い男です。) その男のことは、以後、「Tおじさん」と呼ぶことにします。

私の母親は天性の地雷女

 ところが、天性の地雷女である私の母親は、そんなTおじさんと、度々喧嘩をするように。 喧嘩の理由は、Tおじさんは当時、2人の成人した息子と、妻と、長年別居中の身だったのですが、母親はそれが気に食わず、「いつになったら奥さんと離婚してくれるの!」と、Tおじさんを毎晩のように責めるようになりました。 やがてその矛先は、私達3人の兄弟に向けられるようになりました。

「あんたたちがいるせいで、Tおじさんと再婚できない。」

「あんたたちがいるせいで、私が身を粉にして働かないといけない。」

「あんたが生まれたせいで、あの馬鹿親父と結婚する嵌めになり、私の人生は滅茶苦茶。」

「あんたが生まれなければ、私は看護学校を途中で中退せずに済んだ。看護師になれたハズなのに。」

「あんたの顔を見ると、馬鹿親父を思い出すから胃がムカムカする。出ていけ。」

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 気付いたら、毎日母親の顔色を伺いながら、ビクビクする毎日。 親の愚痴を聞くのも子の勤めと自分に言い聞かせながら、「じゃあなんで俺を産んだんだよ」と、言葉にできない感情を、胸に押し殺しながら高校に通っていました。

毎日のように家を追い出されるように

 そのうち、母親の虫の居所が悪いと、私に対し喚き散らすように。 家に帰れなくなり、仕方なく、同級生の家を転々とするようになっていきました。 小学校からの友人であるH、両親ともに教育者で、うちの事情を知って、「いつでも泊まりに来ていいんだよ。遠慮なんかしちゃだめだよ。」と、どんな時でも、笑顔で迎え入れてくれました。

 高校からの友人で、同じクラスでもないのに、なぜかつるむようになったS、しょっちゅう付き合う女が変わる、下半身がだらしない奴だったけど、お前の家に何度避難させてもらったことか。 後年知ったことですが、当時Sの母親は重度のうつ病だったそうで、Sの父親が、「お母さんが精神的に追い詰められてこういう状況なんだろうから、うちも他人事ではないから助けてやろうな。」と、言ってくれていたそうです。

 オリンピック周期で借金を作る親父、不幸を嘆いて地雷を撒く母親、そんな親を見て育ち、「俺は何で生まれてきたんだろう」と、いつも不安を抱えて生きていました。

 だからこそ、人のやさしさが、何より嬉しい。

 ささいなことが、嬉しい。

 世の中は、こんなにも見返りなく他人に手を差し伸べることのできる人がいるんだと、子供ながらに身を持って知りました。

傷ついたあなたの心に、希望の光が届くように。 私は書き続けます。