6.自ら負け犬になることを選んでしまう生き方

ホームレス高校生編

 ズルい話ですが、私はTさんに想いを伝えて、振られたらYさんと付き合おうと考えるように。

 直前にクリスマスを控え、私はTさんをデートに誘い、脈がなければあきらめようと決意しました。

 ボランティアサークルのイベントが12月23日にあり、その夕方の帰り道、Tさんに声をかけました。

 「Tさんってクリスマスは用事があるのかな?」

 「うん。彼氏のいない女友達同士で遊ぶ約束をしてるんだ。」とTさん。

 「あ、そっか。そうなんだ。」

 「クリスマスがどうかしたの?」

 「いや、みんなどう過ごしているのかなと思って・・・」

 「なるほど。座右君は何か用事があるの?」

  「いや、何にもないんだけど・・・」

 ・・・・・

 ・・・・・

 そのまましばらく無言で駅まで歩く二人。

 ・・・・・

 「じゃあ、またね。お互い楽しいクリスマスになるといいね。」

人は時に、自らチャンスを放棄している

 私はこの時のやり取りを振り返る度、

 「え、Tさん間違いなく脈あるよね!なぜに、このフラグ回収できなかったのかな?オレ、ほんと馬鹿じゃね?」

 と思います。

  まず、「彼氏のいない女友達同士」って、イコール「私、彼氏と別れてフリーです」と翻訳するところですよね?

 「クリスマスがどうしたの?」って、「誘うならここよ」というセンタリングですよね。

 「なるほど、座右君は何か用事があるの?」って、「おいおい、まさか誘わないの?頑張れよ!もう一息だよ!」って、なんとか話が終わらないように助け船だしてくれてますよね。

 言えよオレ!!!

 「良かったら、一緒にどこかでかけない?」って、誘えよ!

 男見せろよ!

 なーーーーーぜーーーーーに無言!!!

 そりゃ愛想尽かされるわ! ほんとオレ馬鹿!

 この時の自分の頭を、金槌で殴ってやりたい。

 Tさんを誘えなかった惨めな自分。

 そもそも、Tさんのようなかわいい女性と付き合おうなんて、俺みたいなモテない貧乏人には高嶺の花だったんだ。

 もうTさんのことは諦めよう。

 って、なんでそうなるかなーーーーー?

 どうしてそこで卑屈になるかな?

 Tさんがもしかしたら俺のことを好きなのかもしれないというのは、なんとなく自覚していましたが、

 「自分の想いを伝えきる」ということを避け、

 「あわよくば、Tさんのほうが自分のことを好きになってくれたらいいのに」と、

 「クリスマスの話題を振れば、向こうから食いついて来るのではないか。」と、

 自分が傷つかない方法に逃げていただけじゃないか。

 本ブログ執筆時の2019年は、当時から20年程経っていましたが、こういう、

 「自分が思い切れなかった出来事」というのは、本当に悔いが残ります。

 やり切って失敗したことは、清々しい思い出になります。

 ですが、自分の心に負けて挑戦できなかったことは、悔いが残る。

 後年、Tさんと当時のことを答え合わせする機会が

 「あんたは何にも知らなかったかもしれないけど、Yさんから、あんたとYさんがいい感じの関係だと聞かされていたのよ。で、あんたが私のことを好きだということもYさんにはお見通しで、私への想いが邪魔してあんたがYさんと付き合う踏ん切りがつかないみたいだと。だから、クリスマスにあんたがYさんと私とどっちと過ごすかで決めよう。」

 なんてことになっていたそうで・・・・・

 で、Tさんは、元カレの浮気が原因で元カレと別れたばかりだったので、

 「年上の女にフラフラしてるような男とは付き合いたくないと思った。だから、気持ちをはっきり伝えて欲しかった。」と。

 この話をされたときは、己の愚かさにほんと死にたくなりましたね。

 結局私は、勝手に諦めて、勝手に傷心して・・・

 そこですかさずYさんからクリスマスに一緒に過ごそうと誘われ・・・

 その夜、Yさんと付き合うことになりました。

 今改めて振り返ると、私には「状況や環境に左右されずに生きる力」がなく、「状況や環境任せの生き方をしていたんだなと感じます。

 こんな形でYさんと付き合うようになったのは、Yさんに対しても失礼な生き方だったのではないか。

 後述しますが、Yさんと付き合ったことが私の人生をホームレス高校生へと突き落とすきっかけとなったため、一時はYさんと出会ったことを恨んだこともありました。

 ですが、そういう「状況や環境に身を任せて流される」生き方を、私は自ら選んでいたのではないか。

 こんな男に、幸せを掴むことなどできやしないのだと、今はそう思います。